JALどこかにマイル新潟空港編。
長岡市にある「山本五十六記念館」に訪れました。
山本五十六の名言と人物像を紹介します。
山本五十六記念館
山本五十六記念館の見どころ
今回の旅の目的は「山本五十六記念館」
ハワイ戦艦ミズーリ記念館とつながりの深い記念館です。
展示のみどころは、山本五十六が搭乗していた「海軍一式陸上攻撃機」の左翼部分。
撃墜されて損傷が激しく、墜落当時の様子が生々しく展示されています。
こちらは、山本五十六のパスポート。
山本五十六が乗艦した戦艦「長門」は、世界七大戦艦のひとつ。長門の軍艦旗が、ハワイミズーリ記念館から寄贈されました。
▶新潟県長岡市呉服町1丁目4-1
▶TEL:0258-37-8001
▶入館料:大人500円
山本五十六の人物像
身長160cm、体重65kgで小柄。酒は飲まず、甘いものが好物、将棋が得意。博打好きで、モナコで勝ちすぎたため、カジノ協会から出入り禁止令を受ける。
山元五十六は、海軍大将でありながら、日独伊三国同盟に反対。第二次世界大戦勃発により、意思に反して真珠湾奇襲攻撃を開始。最後は、ソロモン諸島上空で撃墜され、悲運の末路を辿りました。
- 明治17年旧長岡藩士族高野家に生まれる
父56歳の時に生まれたので五十六と命名 - 大正5年旧長岡藩士山本家を継ぐ
- 大正8年アメリカ合衆国ハーバード大学で学ぶ
- 昭和9年ロンドン軍縮会議予備交渉の海軍代表
- 昭和14年聯合艦隊司令長官
- 昭和15年海軍大将
日独伊三国同盟に反対
- 昭和16年12月8日 真珠湾攻撃
- 昭和17年ミッドウェー作戦で大敗
- 昭和18年4月 ソロモン諸島上空(ブーゲンビル島)で米軍機に撃墜され戦死
(享年60歳) - 昭和18年5月 元帥
6月 国葬(皇族以外の平民が国葬された最初の人物)
戦死した部下の名前を手帳に刻み、その手帳を常備していたそうです。戦死者への賛美と、死への決意で満ちていたといわれています。
山元五十六の名言
現代の会社員にも響く名言が、多く残されています。
やってみせ
言って聞かせて
させてみて
誉めてやらねば
人は動かじ
<原文>
やって見せ
説いて聞かせて
やらせてみ
讃めてやらねば
人は動かぬ
※仕事を教えるのでも、讃めてやると云うことが、秘訣のようであります、讃めると云うことは馬鹿な奴をおだてると云うことではなく、共に喜ぶことなのであります。
苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である
※猛特訓に苦しむ兵のために書いてやったといわれます。
(※お土産に購入したクリアファイル)
「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」
会社員時代に、好きだった言葉です。
ハワイ「戦艦ミズーリ記念館」でも、山本五十六が紹介されています。
双方の立場からながめると、太平洋戦争の知見が深まります。
あとがき
新潟に訪れた際に必ず立ち寄る、新潟中央卸売市場の水産食堂。市場で働く職員向けの食堂ですが、一般客もウェルカム。
人気No.1の特選海鮮丼。このボリュームで1,180円です。
是非お試しください。
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