「戦艦ミズーリ」は、1944年1月29日に進水式を迎え、世界で最後まで現役で活躍した戦艦です。戦艦ミズーリの艦上で、第二次世界大戦が正式に終結しました。
現在は、「戦艦ミズーリ記念館」として一般公開され、「アリゾナ記念館」とともに太平洋戦争の歴史を世界中の人々に伝えています。
ふたつの記念館は、日本人とアメリカ人が知っておくべき歴史が残されています。
戦艦ミズーリ
戦艦ミズーリの諸元表
・全長 270.4m
・全幅 33m
・喫水 11.6m
・高さ 63.9m
・排水量 53,000㌧
・最大速力 33ノット
・造船所 ニューヨーク海軍造船所
・クラス アイオワ級(他にニュージャージー、ミズーリ、ウィスコンシン計4隻)
・進水 昭和19年(1944年)
・主砲 口径40.6センチ(3砲塔9門)
・副砲 口径12.7センチ(10砲塔20門)
・機関砲 CIWS(4基)
・ミサイル トマホーク巡航ミサイル(32基)、ハープーン対艦ミサイル(16基)
戦艦ミズーリの歴史
- 1941年1月ニューヨーク州ブルックリンのニューヨーク海軍造船所で造船。
- 1944年1月進水式。
戦艦の命名者は、ミズーリ州の上院議員ハリー・トルーマンの愛娘マーガレット・トルーマン。 - 1944年6月アメリカで最後に完成し、最後に退役したため「最後の戦艦」と呼ばれる。
初代艦長は Willian M. Callaghan(ウィリアム・キャラハン)。
「マイティー・モー」の愛称で、米国民に親しまれる。 - 1945年9月東京湾に停泊した戦艦ミズーリ艦上で、日本の降伏文書調印式が行われる。
正式に第二次世界大戦が終了。 - 1999年1月パールハーバーで「戦艦ミズーリ記念館」として一般公開。
第二次世界大戦中の役割
- 1944年12月真珠湾に寄港、翌年に空母レキシントン率いる艦隊に加入。
- 1945年2月硫黄島上陸作戦を支援。
- 1945年3月沖縄での攻撃作戦に参加。
- 1945年4月沖縄上陸作戦に参加、海上から砲撃を行う。
- 1945年4月4月11日、特攻隊戦闘機1機による攻撃を受け、右舷甲板後部を破損。
- 1945年8月降伏文書調印式のため東京湾に入港。
- 1945年9月9月2日、連合軍艦隊が見守るなか、降伏文書調印式が行われる。
神風特攻機の衝突
1945年(昭和20年)4月11日
鹿児島・喜界島沖、上空約30メートルから1機の神風特攻機が突入し、右舷艦尾に衝突。
右舷後方から、対空砲火を避けるように海面すれすれの超低空を飛行する零戦が「戦艦ミズーリ」に衝突し、炎と白煙が上がる様子が記録に残っています。
特攻機は、海軍の鹿屋基地(鹿児島県)を飛び立った「第五建武隊」16機のうちの1機でした。
岡山県出身の石野節雄(二等飛行兵曹・19歳)の搭乗機とみられています。
突入機の右翼が副砲塔に衝突し、燃料に引火して辺り一面は炎に包まれます。
特攻機が積んでいた爆弾は、すでに投下されていたためか、爆発することはありませんでした。
鎮火作業後、デッキで特攻機搭乗員の遺体が発見されたそうです。
戦艦ミズーリのウイリアム艦長は、命を賭して勇敢に自らの任務を全うした行為に敬意を表し、甲板に残されたパイロットの遺体を弔うことを決定。翌朝、星条旗に描かせた日の丸を使い、多くの乗員が参加して海軍式の水葬が行われ、遺体は静かに海に戻されました。
ミズーリ記念館
戦艦ミズーリ記念館のエントランス。さっそく艦首が見えて、期待が高まります。
近付くと、全長270mの大きさに圧倒されます。
これが、もっとも大きな16インチ主砲。初めて見る主砲に、度肝を抜かれます。副砲やハープーンミサイルなども間近で見学することができます。
写真は、神風特攻機の零戦が衝突した跡。右舷後方の手すりが、特攻機衝突の衝撃で曲がっています。
特攻機が衝突した瞬間も写真に残されていました。
零戦が大炎上したあと、パイロットの遺体が見つかりました。アメリカ兵が、特攻兵の遺体を水葬してくれた様子も写真に残されています。
アメリカ海軍式の水葬が行われた場所。敵兵にも関わらず、水葬してくれたアメリカ兵にも感謝したい気持ちです。
降伏文書調印式の会場。東京湾に停泊していた戦艦ミズーリのデッキで、調印式が行われました。
日本降伏記念プレート。
連合国のマッカーサーと日本帝国政府を代表した重光葵外務大臣。
これはツアーマップ。実際に現役で戦った戦艦が記念館になっており、見どころ満載でした。
アリゾナ記念館
真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナの真上に、アリゾナ記念館が造られました。
フォード島の東側で沈没した戦艦アリゾナ。水深12メートルの海中に静態保存し、1962年に船体中央をまたぐように記念館が造られました。亡くなった兵士を慰霊するための施設です。
写真は大日本帝国海軍による真珠湾攻撃の戦火。乗組員1,177名のうち1,102名が死亡。戦死した乗組員の名前が大理石に刻まれた慰霊スペースがあり、戦争を後世に伝えています。
展示館で、山本五十六元帥を紹介するパネルも掲示されています。アメリカとの戦争を望んでいなかったことや、日本兵士の証言ビデオが紹介されていました。
記念館の真下に、海底に沈んで横たわる戦艦アリゾナが航空写真から見てとれます。戦艦アリゾナからは、現在でもオイルが漏れているそうです。「アリゾナの涙」と呼ばれる所以です。
山本五十六記念館
連合艦隊司令長官(元帥)山本五十六が乗艦した戦艦長門の軍艦旗が、戦艦ミズーリ記念館から、新潟県長岡市の「山本五十六記念館」に寄贈されました。「長門」が米軍に接収された際に米兵が持ち帰り、戦艦ミズーリ記念館で保管されていたものです。
「長門」は、世界七大戦艦のひとつと言われ、日本海軍の象徴として日本国民にも親しまれました。山本五十六記念館でも、アリゾナ記念館との交流が紹介されています。
あとがき
戦艦ミズーリ記念館は、太平洋戦争の暗い影を伝える歴史遺産。
陽気で明るいオアフ島には、たくさんの観光名所がありますが、「パールハーバー」という歴史の視点から観察しても感慨深いと思います。
特攻隊員の遺体を水葬してくれたアメリカ兵の写真に、涙が溢れました。